【第七話】恋する学園

【第七話】「恋する学園」 東山彰良 桜の舞い散る、ある火曜日の昼下がりのこと。 有象(うぞう)くんと無象(むぞう)くんは喫煙所に指定されている松の木のそばのベンチで煙草を吸いながら、キャンパスを闊歩してゆく新入生たちをまぶしそうに品定めしていた。 メインストリートには立て看板が林立し、おそろいのウィンドブレーカーに身を包んだ学生たちが声を張り上げて新入部員の勧誘にいそしんでいる。 新学期がはじまってそろそろ一週間が経つので、勧誘活動もぼちぼち一段落つくころだ。そのせいか、ラストスパートをかけるサークル勧誘の声には、切羽詰まった響きがあった。 「のどかやね」有象くんが言った。 「そうやね」無象くんが応じた。 ふたりは煙を吹き流し、いまだ汚れたところのない新入生たちに目を細めた。心にどうしても一抹の寂しさがよぎってしまうのは、ふたりとも知っていたからである。こいつらがきらきら輝いていられるのもいまのうち、あとひと月もすれば、各サークル内でかわいこちゃんをめぐっての血で血を洗う抗争が勃発することを。

なぜなら、大学とはそのようなところだからである。 「おまえ、もうサークルには入らんと?」と、有象くん。 が、無象くんは返事をせず、人混みをぬってとぼとぼ歩いてゆく男を目で追っていた。 それは、かつて有象無象くんが所属していたテニス系サークルきってのイケメンくんだった。こいつのせいで、と有象無象くんは歯嚙みした。おれたちはサークルをやめる破目になったんだ。 が、どこか様子がおかしい。 かわいこちゃんを総なめにしたころのイケメン・オーラはすっかり鳴りをひそめ、髪はぼさぼさ、心ここにあらずという体であった。呼び込みをしていた応援団にどすんとぶつかっては怒鳴られ、チラシを配っていた女子たちがおびえたように道をあけていく。夢遊病者のようにふらふらと人混みのなかへまぎれていくイケメンくんを、ふたりは見送った。 あのイケメンにいったいなにがあったんだ? このとき、有象くんの眼間(まなかい)に揺れていたのは、テニスコートの片隅でイケメンくんと抱き合っていた初恋の娘の画(え)だった。

そして無象くんの胸に去来していたのは、無人の部室でイケメンくんと口づけをしていた初恋の娘のうっとりとした顔だった。 それだけでもイケメンくんを謀殺する動機としては充分なのに、それだけではなかった。ふたりをさらに苦しめたのは、イケメンくんはこのふたりの女子と付き合ってすらいなかったという動かしがたい事実だった。有象無象くんの初恋の娘たちは、イケメンくんにとってはただの有象ちゃんと無象ちゃんであり、早い話がただの遊び相手だったのだ。以上が、有象無象くんがテニスサークルを去ることになった、聞くも涙語るも涙の真実である。 イケメンくんのとおったあとには傷心の涙の大河が流れる。そんな彼の身にいったいなにが起こったというのか? なにかが起こったとすれば、それはこの春休みのあいだにちがいない。なぜなら春休み直前の後期試験のときまで、イケメンくんは本命ちゃんがもうすぐオチると周囲に吹きまくっていたのだから。 「あいつ、まだ立ち直れんようやね」 背後から不意に声がかかったのは、有象無象くんがふつふつと怒りをたぎらせているときだった。 ふりかえると、すっかりやにさがった二番手くんがそこにいた。 「はあ?」と、有象くんが口の端を吊り上げた。 「まだ立ち直れんって、なんから立ち直れんとや?」と、無象くんが顔をしかめた。

二番手くんは詳細を語るまえに、ふたりに煙草をねだった。平素より気前のいい有象くんがパックから一本ふり出し、子供のころから気の利く無象くんがライターで火をつけてやった。 ちなみに、二番手くんは有象無象くんがやめたテニスサークルにいまも所属していて、イケメンくんとは本命ちゃんを奪い合う恋敵である。熾烈を極めたこの恋の鞘当(さやあ)ては、数多の犠牲者を出した。あるお人好しの先輩などは、生き馬の目を抜くふたりの権謀術数の巻き添えを食ったおかげで人間不信に陥り、一年間カナダに留学してしまったほどである。 イケメンくんと二番手くんは、さながら水球選手のように表面ではフェアプレイを保ちつつも、水面下でかなりえげつない足の引っ張り合いを演じていた。二番手くんはイケメンくんに泣かされた女子たちの証言を集めてまわり、匿名でツイッターにあげまくった。そのせいで、キャンパスはイケメンくんにとって住みにくいところになった。イケメンくんはイケメンくんで教授たちにあることないこと吹きこんで、二番手くんが希望のゼミに入れないように謀った。それもこれも、恋したあの娘を我が腕にかき抱くためである。誹謗中傷もたけなわだが、しかしだれに彼らを責められよう。恋に関して仁義を云々するのは、餓死寸前の者にテーブルマナーを云々するようなものなのだ。 「なんがあったとや?」と、有象くんがじれて尋ねた。 「もったいぶっとらんで早よ言え」と、無象くんは喧嘩腰だった。 そんなふたりをもっとじらしてやれと言わんばかりに二番手くんは煙草を吸い、鼻から盛大に煙を噴き出し、くすくすと思い出し笑いをしてみたり、いやあ、まさかこんなことになるなんてなあ、などとひとりごちてみたりしたあげく、ようやく口火を切ったのだった。

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