【第六話】伝え方が1割の男

「伝え方が1割の男」 佐々木圭一 大根を、思いきり切ったような音がした。 となりに座っている新人くんの頭上を見ると、壁に大きな三角定規がつき刺さっている。デザイン事務所にある三角定規は、大きくて重い。突然ウルトラマンのような頭になった彼は、地球でもっとも弱そうで、泣きそうな顔をした。今日も社長が怒っている。「バカもんが! なんで、言った通りにできんとや!!」

小柳の声が響いた。 会議室には5人いるけど、誰も声を出せない。ボクは完全に気配をけし、「こちらただのイスです。気にしないでください」とばかりにイスと同化していた。 ここは、福岡にあるデザイン事務所。小さいけど、地元のCMや広告のデザインを手がけている。窓からの陽射しに春の気配を感じはじめた午後のこと、事件は起こった。 社長が指示を出したのだ。 まあ、社長が指示を出すのはごく自然なんだが、小柳の場合はコトバよりも先に、三角定規が飛んでくることがあった。ここで営業を2年やってきたボクには見慣れた光景も、初めて体験した新人には、道を歩いていたらダースベイダーに攻撃されたようなインパクトだと思う。 デザイン事務所には、とがったものが多い。三角定規、コンパス、カッター。それだけでなく小柳が怒るとスリッパ、ポテトチップ、そばにあるものはだいたい飛んで、壁や人に当たった。どんなにかんしゃくを起こした幼児であったとしても、もう少し冷静に投げるものを選ぶだろう。ポテトチップは相手まで届かず、紙吹雪のように美しく舞った。 この事務所では、こんな「きちんと頼むね」のミーティングがよく見られた。 今回、たしかに新人くんの出してきた資料は、ボクの目にも詰めが甘かった。本人もかんぺきだとは思っていなかったかもしれない。でもまさか、それで三角定規が手裏剣のように飛んでくるとも思ってもいなかっただろう。 新人くんは、デザイン学校を出ているからひととおり三角定規の使い方を学んできているはずだ。でも、こんな使い方ができることは学んでなかったはずだ。学問とリアルの現場は、やはり違うのだ。 あと2センチずれていたら、新人くんの頭から赤いビームが出て、もうひとつ学校では学ばない技を覚えていただろう。 新人くんは翌日から来なくなった。小柳は荷物の残った机を見て、

「おい山本、近ごろの若いもんは、根性がたりんし、なんで言った通りにできんとや!」 なぜかボクにあたってきたが、少し寂しそうな顔をした。どう答えようか慌てていると、小柳は何も言わずに立ち去った。 こんな調子だから、この会社は人の入れ替わりが激しかった。デザイン事務所という、一見はなやかな光に若者は吸い寄せられ、入ってくるたび三角定規で叩きつぶされた。 新人に対してだけじゃない。小柳は取引先に対してもちょっと、いや、かなり問題があった。大至急の納品があり、町の印刷所である加藤印刷にお願いしたときのこと。ここは加藤社長ひとりで切り盛りしているけど、技術には定評があるところだ。「その日程やと、ちょっと間に合わんねえ」 との返答を、ボクから小柳にとりつぐと、「どげんかせんかって、言え! 出入り業者なんやから」

その甲高い声は、携帯ごしにも聞こえてしまっていたかもしれない。間に立たされたボクは、たまったもんじゃなかった。ふだんから顔色が悪いと言われるボクも、このときばかりは映画アバターのナヴィ族なみの青さだったと思う。携帯ごしに、腹筋が鍛えられるくらいおじぎして加藤社長に頼み込んだが、「……山本くんには悪いけど、あんたんとこの仕事はうけられんよ」 そう言われ、切られた。別の印刷所を探すのも大変だったが、何より痛手だったのは、加藤印刷との取引がなくなったことだった。 クライアントに対しても同じだった。 ボクら営業が何度も通ってプレゼンにたどり着いた「ひよ子本舗 野堂」。ここの主力商品、ひよ子の広告を提案することになったときのこと。営業の目からしても、アイディアには自信があった。小柳が話しだした。

「このお菓子の一番の魅力は、カタチです」 小柳はポスター案を、テーブルの上に置いた。「ひよ子をお菓子と考えるのではなく、生き物として考えましょう。今の菓子箱を和菓子風ではなく、鳥小屋のようなデザインに。店頭のディスプレーも鳥小屋に入った、ひよ子というイメージで」 それは従来の和菓子のポスターではなかった。ひよ子が、まるで生きているかのように鳥小屋をエンジョイしているビジュアルだ。「写真の撮られやすさを考えるのです。いまは、SNSの拡散がものを言う時代です。和菓子を買わない若者たちにも、もっと愛されるものになりますよ」 これを世の中に出せたら、かわいいものになっていただろう。評判にもなるかもしれない。みんな期待感をこめて反応を待った。……自然と、ひよ子の宣伝担当者に視線が集まった。「わかるのですが、当社にはちょっと合わないかと」 時代の流れに合わせて、何かを変えたいと宣伝担当者からは聞いていた。しかし、長年培ってきた和菓子のイメージに自信もあったし、本当にそんなチェンジをしてしまっていいか信じ切れなかったのかもしれない。自信満々だった小柳の顔がくもった。

「このデザインこそ、御社にベストなデザインです。世の中は刻々と変化しています。御社も変わらないと。まあ……わからんかもしれませんが」 これでプレゼンは終了した。なんとも後味の悪い終わり方だった。帰り道に誰もが思った。『社長のあの言い方はないよな……』 ひとつひとつ積み上げてきたものを、数秒のコトバで崩されてしまう。無力感に涙が出そうになる。怒りでも悲しみでもなくただ、じぶんの無力感が悔しかった。ボクもそろそろ転職を考えるときかもしれない。きっと他のみんなもそう思っているだろう。歩きながら小柳がつぶやいた。「なんで、わからんとや。あそこの会社のためなのに……」 ひとつだけ小柳をかばうことができるなら、実は悪気がないのだ。子どものように思ったまま話してしまう悪いクセがあった。そのクセが原因で、会社はゆるやかに崩壊しようとしていた。

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