【第四話】 誰かのために引いたおみくじ

「誰かのために引いたおみくじ」 坪田信貴  はらわたが煮えくり返るとはこのことだ! お腹を痛めて産んだ子、女手一つで、手塩にかけて育ててきたわが子に殴られた。 勇次は、自分の拳で私の側頭部を打った瞬間、まるで、自分が意図したわけではないと言い訳をするように、「お、お前が悪いんだからな!」と叫んだ。  頭蓋骨の奥から滲み出てくる痛みと共に、じんわりとそしてゆっくりと腹立たしさと悔しさに塗れた涙があふれでてきた。 そもそも、なぜ私があの子に殴られなければいけないのか。私は勇次のためを思っていつものように優しく諭しただけなのに。 いつもなら、「はい。はい」と聞き流して、バツの悪そうな顔をしてそそくさと逃げ隠れるあの子が、今日に限っては、「うるせーな」と親に向かって汚い言葉を吐いてきた。 そこで、私は「その態度は何。そもそも、あなたは学生なんだから、その本分は勉強でしょう? だいたい、高校に入ってからあなた、まともに机について勉強したことある? 携帯ばっかりいじって。この前の期末テストだって、散々だったじゃない。私は働いているの! あなたを食べさせるために! あなたはあなたの仕事をする。そんなの当たり前のことじゃない! にもかかわらず、やると決めたことをあなたは一度もやり通したことがない。そしてこの年齢になってもまだやらなきゃいけないことすらまともにできない」と伝えただけ。

私が演説を打つと、みるみるうちに勇次の顔が硬直し、反論することもできずに「うるせーババア」なんていう、知性のかけらも見えない言葉を発した後、彼は怒り狂って立ち上がった。そして私を殴って泣きながら家を出て行った。 泣きたいのは私の方だ。 しかも問題は、最後の捨て台詞だ。 「もう、お前とはへその緒を切るからな!」 それを言うなら「縁を切る」だ。いつまで私とつながっているつもりなのか。 そんな頭だからもっと勉強しないと、これからのグローバルかつ情報化社会では生きていけないのに。 私は、しばらく呆然とした後に、キッチンまで歩いて行き、蛇口をひねった。冷たい水が勢い良く飛び出してくる。私は、その冷たい水の柱に手を入れ、十分冷やした後に、手のひらを側頭部に持って行き、少しでも痛みを和らげようとした。

私は、根本的に男運が悪い。スタートが、今やこの世にはいない父、次に離婚した夫。そして息子。いつも私を困らせるのは男たち。そもそも、父が私に父親らしい姿を見せたことは一度もない。普通の父親なら、娘を猫かわいがりするものだ。にもかかわらず、家にも帰らず、たまに帰ってきたかと思えば、母に文句ばかり言って、一人でブチ切れて叫んで家から出て行った。それが日常だった。 私が、高校受験の時に、大ゲンカをしたことがある。久しぶりに帰ってきて、私に笑顔で近づいてきてちょっと言いたいことがあるから部屋に来て欲しいと父は言った。「言いたいことがあるんやったら今ここで言えばいいやん」と主張すると、「とにかくきてくれ」と腕を掴んで、私を引っ張っていこうとするので、怖くなった私は、無理やり腕を引き剥がし、自分の部屋に籠城した。すると父は露骨に機嫌が悪くなり、母に当たり始めた。「たまに帰ってきた時ぐらい、静かにして!」と私が大声で文句を言ったら、部屋まで乗り込んできて目を真っ赤にして、「黙れ、クソガキが。誰に育ててもらったと思いようとや! 偉そうな口きくんじゃなか!」とガラスがビリビリ震えるぐらい叫んだ。 私は「あんたじゃなか。お母さんよ」と答えた。「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」とすごむ父に、「私は一言しか言ってなかろうが。うるさくていい気になっとうのはあんたたい」と言い返した。あいつは、私に平手打ちをした。母はそれを見て、泣き叫んだ。父は、舌打ちをして家を出て行った。それから、私は父とは一切口を利かなかった。 こんな家は一刻も早く出たい。そして自立したい、そう思っていた高校生の私に、あいつは、「女なんか大学いっても意味がない。金がかかるだけだから早く就職しろ」とのたまった。時代錯誤も甚だしい。私は、一人ででも大学に行ってやる、そして一刻も早くあんな男の側から離れて、幸せになるんだと思った。私は、とにかくお金を安くするために、そして憧れの「東京」にできるだけ近くいたいという理由で努力した。しかし、金銭的な縛りの中で「東京の国公立」はあまりにハードルが高すぎて、北関東の国立大学に滑り込んだ。  思っていた「花の都」のイメージとは程遠い、見渡す限り田んぼのような場所での生活だった。花というより、どちらかというと教室には牛のフンの匂いが充満していた。 就職活動では、とにかく一生自立できるように、しかし、都会で生活できるように、一般職で銀行を志望した。幸い、地方銀行の都内の支店で採用が決まり、そこでであった同期の男と付き合うことになり、3年後に寿退社となった。まあよくある話だ。 この時点で、淡く希望していた人生とは異なったけれど、最初の数年は幸せだった。子どもが生まれて数年が経ち、その男が銀行の本店に異動が決まった時に、東京を出たくなかった私とどこに住むかで揉めた。子どもの教育を盾にした私が議論で勝った。そこから、夫の単身赴任が始まり、テンプレートのような浮気疑惑とともに何度となく喧嘩をし、家に帰ってくるたびに罵声を浴びせられることになった。家に帰ってくる時は必ず酒に酔い、私に暴力を振るうことも増えた。幼少期に見た景色と全く同じことを経験し、私はついに離婚することを決意し、元いた銀行で再就職することになった。 それから一人で子育てを開始するのだけれど、私の人生の大半は、息子の勇次をいかに私の父親や、元夫とは違う、「まともな人間」に育てるかに費やしたと言っても過言ではない。時間、お金、エネルギー、あらゆることを彼のために使った。 幼児教育、水泳、ソロバン、塾、体操教室、彼がやりたいと言ったことは全てやらせたが、全部中途半端でやめてしまった。私はその度に勇次をなじった。「あんたがやりたいと自分から言ったことにいったいどれだけかけたと思ってるの? で、得たのは何?」  小さい頃の勇次は、そんな時、消え入るような小さな声で、うつむきながら「僕がやりたいと言ったわけじゃない。でも、ママ、ごめんなさい。次は頑張ります」と言った。

もちろん、そしてその【次】はどれだけ待っても永遠にこなかった。

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